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​​礼拝説教要旨

パウロとシラスには、父親から譲り受けたローマ帝国の市民権がありました。この市民権を持つ者は法的保護を保証され、不当な鞭打ちや裁判に掛けずに裁かれる事無く、十字架刑も免除されていました。高官達は2人がローマ帝国の市民権を持っていると知り青ざめます。ローマ市民を不当に扱い投獄した事になるからです。この過ちが本国や上層部の耳に届けば失職は確実でしたから、慌てて2人に謝罪すると共にこの不祥事がばれない様ひそかに2人が町を立ち去ってくれる様頼みます。するとパウロはその願いを受け容れフィリピから旅立ちます。それは高官達に同情したからでもなく勿論賄賂を受け取った為でもありません。パウロはフィリピにも生まれた教会と信仰の仲間達のこれからを思い、自分達が身を引く代わりに群れの安全と保護を願って譲歩したのです。ここに賢い知恵を見る事が出来ます。
教会前の花壇

​2025年2月9日(日)

「…“救われるためにはどうすべきでしょうか。”…“主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。”…」

 (使徒言行録16章30~31節より)

 理不尽にも投獄されてしまったパウロとシラスは、不当な鞭打ちで傷を負った体の痛みにも拘わらず、獄中で賛美を歌い祈っておりました。すると大地震が突然起こり、牢屋の土台が激しく揺れ動きます。その弾みで獄屋の扉全てが開け放たれ囚人達の鎖まで外れます。明らかに神ご自身の御業でありました。看守はてっきり囚人達がこの騒ぎに乗じ脱走したものと思い込み自害しかけましたが、パウロがそれを止めると看守は「救われる為にはどうすべきか教えて欲しい」と伝道者達に願います。「主イエスを信じなさい」との答えに看守は主を信じる者となり、家族共々洗礼を受けました。“救われる”というのは苦境から助け出される事だけでなく、実はそれ以上に必要な救いは“罪と死と滅びからの解放”です。これは私達の為に十字架に架かり甦られたイエス・キリスト以外には与える事の出来ない真の救いです。

開花

2025年2月16日(日)

「…パウロは…“メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた”と…説明し、論証した…。」

(使徒言行録17章2~3節より)

パウロ達はマケドニア州の首都であるテサロニケを訪れ、伝道します。この町は大きく多種多様な人々が集まる国際都市でしたが、パウロ達はこれ迄通り先ずユダヤ人の会堂でみ言を語り、それが3週間に及びます。すると少数のユダヤ人を始め数多くの異邦人達が信仰に導かれ、救われます。それを妬んだ過激派のユダヤ人達はわざと騒ぎを起こし、伝道者達を騒乱罪や反逆罪で訴えようとします。しかし、ヤソンと言う名の篤志が身代わりとなり裁かれかけますが、町の当局者は不問に伏し罰金を徴収するのみで、ヤソンは無罪放免となります。このヤソンはパウロ達によって信仰に導かれ救われた1人でした。ならず者に家を襲われる等酷い目に遭いながらも、伝道者達を体を張って守り助け、伝道の業が滞る事の無い様支えてくれたのです。それは十字架と復活の主を心から信じる信仰の力による事でありました。

花壇

​​(2025年3月16日 礼拝説教)

「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い…しかし、信仰に入った者も何人かいた…。」

(使徒言行録17章32~34節より)

 アテネのアレオパゴスで福音を語る機会を得てパウロは、“偶像の神々を捨て、悔い改めて真の神を信じるよう”復活信仰を大胆に告げました。しかしギリシャ哲学に深く影響されていたアテネの知識人達は、“死者の復活”などあり得ないと御言を退けました。この出来事は伝道の失敗例と考える人もいますが、必ずしもそうとは言えません。パウロの伝道と祈りは極少数の者達が信仰へと導かれるという形で報われました。ペンテコステの日には一挙に3,000人もの人が救われた事も聖霊の御業でしたが、ほんの僅かな人であっても、福音が信じられ信仰へと導かれたならこれも間違いなく聖霊の御業であり、奇跡的な出来事であると言わなければなりません。伝道は難しいと悩み嘆く事の少なくない私達かも知れませんが、主を信じる私達の執り成しの祈りと働きは、どれ程小さなものでも必ず聖霊の道具として潔められ、貴く用いられてゆく事を信じたく思います。   

礼拝説教集: あなたも仲間に

2025年2月2日(日)
 

「…パウロは…言った。“高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを…今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない…”」

 (使徒言行録16章37節より)

  • 日本キリスト教団 全国連合長老会

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